タフなやつだった

 ちょっとしたきっかけを与えられて、ぼんやりと昔飼っていた犬のことを考えていた。はじめて飼ったのは5歳ぐらいだったか、ムクという雑種のオスだった。今となってはよく顔を思い出すことができないけれど、とても凛とした声で吠える元気な犬だったと思う。両親が離婚して、生まれ住んでいた家を出るときに別れて、それっきりだった。十数年が経って昔の家を訪れてみるともう亡くなってしまっていて、なんとも言えない気分になったのを憶えている。
 つぎに犬を飼ったのは10歳の頃、ビーグル犬のオス、ポンタだった。とてもやんちゃでよく吠えるやつで、現代の日本においては過剰なくらい、ハンティングドッグの血統をギラギラと見せつけているようなやつだった。その数年後に同じくビーグル犬のメス、さくらを飼い、その2匹が夫婦になって子犬が生まれた。数匹を里子にだし、1番のぶさいくだったオス、プッカというやつを手元に置いて合計3匹の大所帯になった。よく吠えて、よく走って、よく寝る元気なやつらだった。なにぶん3匹もいるとなかなか家族そろっての外出もままならないのだけど、それも大して気にならないくらい賑やかで楽しい時間だった。家具はすぐにぼろぼろにされてしまうし、3匹でけんかをしだすともう手が付けられなかったのだけれど。
 その数年後に新しい両親が離婚することになり、またもや家を出るにあたって、さくらとプッカは友人にひきとってもらうことになった。もうそのころには老犬になりつつあったポンタは祖父母の家に預かってもらうことになった。別れはとてもつらかったけれど、どうしようもないことだってあるのだ。僕にできることは、なるべく優しそうな、犬たちを可愛がってくれそうな人々を捜して駆けまわることだけだった。
 その甲斐もあったのか?その後の3匹はというと、さくらは僕の友人の家でお姫様のような扱いをうけてごろごろしているし(いいご飯をあたえられてお腹のあたりにたっぷりと肉もついた)、プッカは香川県伊吹島というところででいりこ漁を営んでいる一家に可愛がられている。ポンタは祖父母の家で数年過ごしたあと、母の知人家族に引き取られて可愛がられ、そしてしばらくして病気になって亡くなってしまった。その知らせを聞いたときはそれほどつらい思いもしなかった。もっと可愛がってたくさん散歩につれていってあげて、もっとおいしいものを食べさせてあげればよかったな、とは思ったけれど、なにぶんそのとき僕は東京にいたし、あまり実感がわかなかったのが正直なところだ。いまもどこかで、あいつがタフなハンティングドッグのふりをして吠えまくっているような気がするのだ。天国なんていうものがあるなら、そこでいい思いをしているんだろう。「お前もいろいろあったけれど、良い一生だったろう?」そういつも、心の中で思っている。

ジョブズ本を読み終えた

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

 ジョブズ非公式本を読み終えた。特に勉強になったということはないけど、それよりも本文中でいくつか気になった言葉を紹介したいと思う。


「でも、この仕事はチームスポーツなんだ。」


「なにをしようとしているのか分かっているのか? そのドアを出たら、世界は変わってしまうんだぞ。」


「子どものころ、テレビを見ると陰謀のにおいを感じたんだ。僕たちをあほうにしようという陰謀のね。」


iPodシャッフル。人生は偶然だ。」

 どれもリズム感に溢れた良いフレーズではないか。相手の目を真っ直ぐに見て、人差し指を立てて言い放ちたい。特に上から2番目だ。いつか自分の会社から誰かが去ろうとしているときに使ってみたい一言ではないだろうか。

SUPER 8を観た

SUPER 8/スーパーエイト ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]

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 昨日だけで2回繰り返して観た。最高だった。JJエイブラムスという人のスピルバーグ映画への愛が溢れていて、それでも冒頭の列車脱線のシーンはオリジナリティ溢れるものだった。映画って本当に素晴らしいな、と改めて確認させてくれる一作。

ミスタードーナツについて

 ミスタードーナツが好きだ。もちろんドーナツも好きだけれど、無限におかわりできるコーヒーとカフェオレがなによりもいい。そのコーヒーもカフェオレも、どちらも主張しない控えめな味なので、読書しながら何杯も飲んでいても飽きない。(もともとそれほど気にとめるような味でもないので、飽きる以前に興味がない、と言うべきか)
 八王子に住んでいたときのことだけれど、京王八王子駅前のミスタードーナツにはとてもお世話になった。ちょっと早めに大学での研究を終わらせて午後8時頃に帰ってくることができると、よくミスタードーナツに寄って気分転換に本を読んでいた。ピンチョンの『メイスン&ディクスン』『逆光』や、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、古川日出男の『ベルカ、吠えないのか』もそこで読んだものだ。僕は物語を読み始めると2時間や3時間は熱中して居座ってしまうたちなので、そのあいだに店員さんが「おかわりはいかがですか?」と聞きに来る回数も相当なものになる。これはとても親切で嬉しいサービスなのだけれど、あまりカフェインをとりすぎて眠れなくなっても問題だし、トイレに行く頻度が増してもなんだか居心地が悪い。スマートな居座りスタイルではない気がする。
 そこで、おかわりを断るという対応が必要になるのだが、「あ、いいです」「大丈夫です」という典型的な日本人スタイルの断り方をすると、結構な頻度でカップにおかわりのコーヒー/カフェオレが注がれてしまうことが分かった。単に僕の滑舌が良くなくて/声が低くて、返事を聞き取れなかった彼女が事を荒立てずに済ませるために注いだのかもしれないが、これはあまり気持ちのいいものではないし、お店のコーヒーを無駄に消費しているわけだから居心地もよくない。どうにかして彼女にハッキリとNOを突きつけることが出来ないかひとしきり考えたのちに、僕は「結構です」ということに決めた。少し冷たい対応のような気もするが、これがベストな断り方だろう。

 あくる日、彼女がおかわり用のポットを持ってテーブルをまわる姿を目にとめると、読んでいる本から意識を離して迎撃態勢に入る。隣の人のカップにおかわりが注がれ、次に彼女は僕のテーブルにやってくる。「失礼致します、コーヒーのおかわりはいかがですか?」という言葉が耳に入る。「結構です。」と僕は答える。意を決して答えきったその瞬間に、なにか大きな間違いをしてしまったかのような錯覚をおぼえる。なにかもうひとこと、付け加えるべき言葉があるのではないか?そう考えているうちに、彼女は次のテーブルへと移って行ってしまう。

 あのとき僕は「ありがとう」と付け加えるべきだったのだ。「結構です、ありがとう。」、さらに少しの微笑みでもあれば完璧ではなかったか。まるでスマートなサラリーマンのようじゃないか。しかし結局、僕がそのスマートな言葉を使うことはなかった。なにやらそんな言葉を口にするのが気恥ずかしくて、もごもごと「大丈夫です」と言ってしまい、コーヒーを注がれる立場に戻ってしまった。それでも、以前よりいくぶんか居心地は良くなった気がするのだけれど。

牡蠣フライを食べること

 午後8時の飯田橋/神保町界隈をひとしきりさまよって、ようやくのことで九段下駅、7番出口を見つけた。もとより都営新宿線 九段下駅には6番出口までしかない。友人が待ち合わせに指定した幻の7番出口は東京メトロ 東西線のものなのだ。そのことで文句のひとつも言ってやろうかと思ったけれど、せっかく数年ぶりに会うのだし、なにより彼はここ2年ほど博多に住んでいるのだからしょうがない。そんなことを思いながら、学生の頃よりいくぶん太った(それでも最後に大阪で会った頃よりはだいぶスリムになった)彼を見つけて「よう、ひさしぶり」と声をかけた。
 「ようよう」「いやいやいや」などと言い合いながら、近くの居酒屋のカウンターに腰を落ち着けてビールを飲む。彼はスーパードライを注文し、僕はヱビスを頼む。ピクルスとおでんを頼み、追加で牡蠣フライを頼む。
 料理が来るまでにひとしきりお互いが知っている級友の近況を報告しあった。結婚したり、大学院に進学したり、彼女をつくっては別れたり、転職したり。そうして話題をひとつひとつ消化していくと、次に彼は自分の趣味のバンド活動のことを楽しそうに話した。「ふむふむ、趣味が充実してるってのはいいことやね」と頷いて聞き、次に僕が結婚するんだという話をした。
 「おうおう、それはおめでとう。まぁいい嫁がいるならちゃっちゃと結婚してしまったほうがいいと思うよ。夜うちに帰って温かいご飯があるっていうのはいいだろうな。俺にも戦場ヶ原さんみたいなひとがいればなぁ。羽川じゃだめなのよ。」
 この発言には何ひとつとして共感できなかったけれど(なにより僕は嫁という言葉があまり好きじゃないし、温かいごはんだって奥さんがつくると決まったものじゃないだろう)、それでも、親しい友人に自分の婚約報告をすることができた達成感と、こいつの考え方は10年前から全然変わってないなぁという懐かしさに包まれて「戦場ヶ原さんね・・・まぁ・・・苦労するだろうな」などと的確な相づちをうってみた。
 そんなとりとめのない会話をしていると4個の牡蠣フライがやってきた。レモンを搾ってひとつ口に運ぶと、爽やかな磯の香りと熱い汁が口の中いっぱいに広がる。とても美味しい牡蠣フライだ。ふたつめはマヨネーズを少しつけてビールと共に頂く。彼はすでにふたつめを食べてしまっていた。
 そうしてひとしきり満腹になって満足していると、「こうやって横に座って話していると、部室のベランダで喋っていたときとなにも変わらんなぁ。」と彼が言った。そういえば10年前も、こうして横に座って空を見ながら/アイスを食べながら、どうでもいい話を1時間も2時間も毎日のようにしていたのだ。なにか変わったのかと改めて考えてみると、とくに何も思い浮かばず、そういう何も変わらないことに少し感動してしまった。強いて挙げるなら、あれだけ大嫌いだった牡蠣フライをこうして美味しく食べていることぐらいだろうか。たぶんこれからは美味しい牡蠣フライを食べるたびに、こうした心が温まるようなことを思い出すことが出来るのかもしれない。
 その後は温かいお茶を飲みながら、彼の仕事の激務さや、給料の少なさや、女の子との出会いの少なさを聞き、「しかしそれでも俺はめぐまれているんだよ。」、という主張をうんうんと頷きつつ聞いていた。正気の人間なら「おいお前、それはおかしいよ。転職したほうがいい。それだけ残業しても手取りがそれだけ、しかも社宅だっていうのに家賃が高すぎるだろう。これから結婚することになったらどうするんだ。」と言うのかも知れないけれど、こういう彼の性格は10年前から理解しているので何も言わない。ただ彼のやりきれない思いを聞き、それに対して自分もやりきれない思いを抱き、それらを抱え込むのが正しい対処法なのだ。
 そうしていると10時をまわったので、勘定を多めに払い、「じゃあまたそのうちな」と言って別れた。彼女の家に行こうかと思ったけれどやめて、ロマンスカーに乗って帰ろうかと思ったけれどやめて、雨が降っていたから傘を買おうかと思ったけれどそれもやめて、そうしてため込んだやりきれない思いをひとつひとつロッカーの奥のほうにしまっておいて、いつか彼が、誰の目から見ても幸せいっぱいになったときに叩きつけてやろうと思う。それが本当の友情ってものだろう?

コンピューターについて考える

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

 23時、仕事を終えて近所のコンビニに寄る。温かいピザまんを買い、冷たい空気のなかを食べ歩きしながら寮に帰宅する。普段だったらこういう本にはあまり興味が向かないし、もとよりビジネス書のようなものが好きではないのだけど、なんとなしに寮のロビーに置かれていた本を拾ってしまって読んでいる。
 1時間ぐらい風呂に浸かりながら2章まで読んでしまったけれど、物事の詳細・真偽の程は定かではないとしても、当時のサンフランシスコ周辺の開戦前夜のような空気感が伝わってきてとても面白く読むことが出来た。個人に対してはカリスマだ、アイディアマンだ、独裁者だ、などといろいろなキャッチコピーをつけられているけれど、パーソナル・コンピューター時代の幕開け、一部のマニアの嗜好品だったコンピューターが広く普及していく過程にはそんなに突飛なブレイクスルーはないし、順当にお客さんのニーズをつかんで、順当に技術的な改善を積み重ねることができたアップルという会社/チームが躍進した、というシンプルな物語ではないのだろうか。あえて個人に対して評するなら、そのしぶとさというか、「認めてくれるまでは絶対ここを動かんからな!」という厚顔無恥さは特筆に値すると思うけれど。(そりゃその体臭で居座られたらたまらんわ)

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 余談だけれど、僕が生まれて初めて使ったコンピューターはアップルが1984年に発売したMacintoshだった。7歳ぐらいだったか、マウスでお絵かきして、スタンプを貼り付けて、ダイナマイトを爆発させて描いた絵を全部消去!みたいなことを飽きもせず延々と繰り返していた記憶がはっきりと残っている。(分かるひと、いるかな?)
 いま思い返してもとても楽しかったし、そのマックが大好きだった。背面の電源ボタンをONにして、CRTの「ブーン」という音がして、HDDの「カリカリカリ」という音が聞こえてきて、まるで生きているようだった。ペットに対して注ぐような愛情を持っていたと言っても間違いではないと思う。
 19歳のときに両親が2度目の離婚をして、そのときに住んでいた家を出る際に処分してしまったけれど、とても残念なことをしてしまったと今になって悔やんでいる。そんなことをするべきではなかったのだ。処分すべきはWindows95が組み込まれたどこかのメーカーの巨大な『PC』だったのだ。あのマックは、そのシンプルでコンパクトな箱の中に、僕の幼い頃の温かい思い出を持ち続けていたのだから。